自担とは論

ジャニヲタにとっての担当論は人それぞれ。だからこそ人の担当論や担当遍歴を聞くのがとても大好きです。ということで、せっかくなので自分の担当論とかをまとめておきたいと思いました。もうすぐで自分の人生のジャニヲタである年数>ジャニヲタでない年数になる記念。(なにそれ)

 

まず担当論。これまでの自分を振り返ってみると完全に分かるけど、私は自担史上主義。ほかの誰も手が届かない圧倒的1位に君臨するのが自担で、好きになったら一瞬の動きのクセすら好きになるし自担のパフォーマンスがこの世界で最高だと信じて疑わなくなる信仰みの強いタイプです。

ステージに立ってる自担に会えない期間も長らくあったけれど(これは察して案件)、その間にフラフラっとお邪魔する現場は楽しいのだけどやはり決定的に違くて。どこに行っても自分の核がない感じがしてしまって、「みんなは楽しそうで幸せそうで羨ましいな」と思ってしまう。

私は完全に、掛け持ちは出来ないタイプのおたくです。自担史上主義に、自担は2人も要らないし同じだけの愛を私は器用に分け与えられない。結構目の前しか見えなくなるなあと毎度思います。なので視野はめっちゃ狭い。

もしかすると逆に、目の前のその子しか見えなくなったときはもう降りてるときなのかもしれないですね。

人生で初めて担降りをしたときの大きなキッカケのひとつは、「同じ会場に自担と好きな子がいるときにどちらを見ているか」でした。私の場合、ここでこっちを見ているという時点でもう自分の中で決まってるなと思うので、本当掛けもてない。どっちを見るかで絶対的に順位が付いてしまうし、ここで2番になった人のことまで担当とは呼べない。それが故に、狭く深く重くなりがちで、最初の担当のときは重すぎて結構自分で自分の首を締めるような感じになってしまったので、なるべくそうならないようにと気を付けて過ごしたのが美勇人くん担当時代でした。おかげでずっと安定して好きだったけど、気の合わない同担のことはなるべく視界に入れずに生きてきたことは確か(笑)。

しかも降りたら元担には結構冷めちゃうので、これきっとリアルに元彼とかいたら相手に向けて冷徹な目をするんだろうなあと思って自分にトリハダ。こわ。

なんて話はどうでもよくてですね。

 

次に「私にとっての担降りパラメーター」について!今回の担降りを経て友人に言われてなるほどなと自己分析したのがまさにここ。

私にとってのパラメーターは「かっこいい」である。

確かに私はずっと、幼かった男の子たちがカメラに向かってカッコつけられ始めた瞬間に感動を覚えるし、その表情に悲鳴が飛ぶのを見て心の中でガッツポーズをする。「うわ、この子覚醒した!!!!」って感じるのが好きで、だからJr.担って楽しいよなあって思ってた。すなわちそれって「可愛いからかっこいいに変わった瞬間が好き」なんだなと。

もっと掘り下げれば、「あんなに小さかった子がこんなにかっこよくなってる」がめちゃくちゃ好き。どんなに横目であっても、小さかった頃を知ってることが更にその覚醒の感覚を増幅させるからだと思う。

美勇人くんに降りたときはまさにそれだった。とんでもなくかっこよくなった高校2年生の美勇人くんがステージにいて、「かっこいい」という感情が爆発した。

美勇人くんがいなくなったジャニーズの世界で次なる自担を探すべく色んな現場にもお邪魔したし、気になる子だって見つけた。それでも「降りたい」と思わなかったのは、多分その子たちに向ける気持ちの全てが「かわいい」だったからだとこの度気がついた。とても納得。すんごく腑に落ちた。

今の自担ことラウちゃんに直滑降で落ちたのは、あの横アリで抱いたド頭の感想が「かっこいい」だったから。もうだいたいのJr.の子は知ってるし、あんな小さかった子がこんな…っていう降り方は難しいかなあって正直思い始めていた頃でした。そんな私の前に、彗星のごとく現れて私の頭をブン殴っていったのが君です。無意識か意識的か分かんないけど、スクリーンに抜かれるようなキメ顔のときに片目を細めるのがどうしようもなくかっこよくて、たまらなく好きです。(突然の告白)

あのとき抱いた気持ちが「かわいい」だったら、きっとこんな今は待ってなかった。最高の気分だぜ、ヒデアキ!(@滝沢革命)(永遠に理解できない舞台だけどたぶんずっと好き)

 

じゃにおた人生、なにが起きるか分かんないし本当に楽しい。ジャニーズに生かされてる人生だなあと思うけど、有り難く生かされ続けていたいなと思います。

担降りはじゃにおたのロマンだ!なんてな!